承認欲求。自己の重要感。

f:id:detour1:20190216222624j:plain今、TVや、ネットで、[承認欲求]という言葉をよく聞きます。
何かに、自己を重要な人物と認められたい人間の渇望と書かれているものを見たことがあります。
承認欲求は、古代の人間から持っているものの1つということです。ほとんどの人は、自分を理解してもらいたいと考えています。そして、数々の形で、自己をアピールして、[重要人物]と言わしめるため、行動します。大金に物を言わせて、その渇望を満たそうとする人、高級外車を乗ってアピールする人、または、奇をてらう行動や、他人に迷惑をかけても自分の重要感をアピールする人、数多くの行動にでます。しかし、人は、そんなに簡単に他人を認めません。そこにはある[いやらしさ。]を見る目が、備わっているからだと思います。
残念ながら[偉そうにすればするほど、軽んじられる]と思います。私のたくさんのいやらしさを考えた時、自己の重要感を他人に伝える事は、難しい事だと思いました。
ただ自分自身で体感した、承認したい、重要人物と認めたい人は、単純なはなし、[穏やかな話し方をし、こちらを理解し承認しようと、話を良く聞いてくれる]人でした。
何人か存在しますが、一人は、小柄でメガネをかけた、新聞のセールスマンでした。
買いませんでしたが、とにかく安心して、話ができる人でした。人柄を感じました。あるいやらしさを感じませんでした。
実にセールスマンの武器は、承認欲求にアプローチすることだと思いますが、
[誉め言葉や、おべんちゃら]は、いやらしさを、におわせます。
ですから、いやらしさが少ない人、人徳を感じさせる人、人の話を良く聞いてくれる人こそ、[承認]したいと、考えています!